名古屋高等裁判所 昭和44年(う)186号 判決 1969年7月16日
本籍
埼玉県熊谷市大字熊谷一一七六番地
住居
名古屋市中村区小鳥町四番地
土木工事請負業
矢沢利男
昭和四年九月四日生
右の者に対する所得税法違反被告事件につき、名古屋地方裁判所が昭和四四年二月一七日に言い渡した有罪判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は検察官船越信勝出席のうえ、審理をして、次のとおり判決をする。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人石田恵一作成名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用するが、その要旨は、原判決の量刑が重きに過ぎて不当である、というのである。
所論にかんがみ、記録を調べ、当審における事実取調の結果を参酌し、証拠にあらわれた本件量刑に影響を及ぼすべき一切の情状、とくに、被告人は、その経営する土木工事請負業矢沢工務店の業務の遂行上、労務費その他のため、適宜自由に支出し得る三、〇〇〇万円ほどの資金を用意したいと考えて、昭和三九年度においては、架空労務費二九、五〇四、九一五円、架空外注加工費二、六〇〇、〇〇〇円同四〇年度においては、架空労務費三六、八四一、三七八円架空外注加工費六、七四八、五一三円を計上する等の不正の方法によつて、所得の一部を秘匿して、それぞれ原判示所轄税務署長に対し、過少の所得税申告書を提出したものにかかり、その動機方法において悪質であること、剰え、その犯則所得額は昭和三九年度において、七、七五六、六六三円(申告所得額七、三三七、四九三円)昭和四〇年度において、八、二五九、七九二円(申告所得額七、五八一、八一〇円)、その逋脱税額は結局昭和三九年度において、四、一三〇、〇〇〇円、昭和四〇年度において、四、四一七、九〇〇円に上つて居り、その犯罰金額も相当多額であることなどを考えると、所論のうち、被告人が、その後、昭和三九年度および昭和四〇年度分の正規の所得税、過少加算税、重加算税、延滞税などの支払をしていることなど背認され得る論点を、被告人の利益に斟酌しても、被告人を懲役八月および罰金三〇〇万円に処し、三年間右懲役刑の執行を猶予した原審の量刑が、必ずしも重すぎるとは認められない。論旨は理由がない。
よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条に則り、これを棄却することとして、主文のとおり判決をする。
(裁判長裁判官 上田孝造 裁判官 斎藤寿 裁判官 杉田寛)
控訴趣意書
被告人 矢沢利男
原判決は右被告人に対し懲役八月、罰金三〇〇万円に処し右懲役刑につき三年間の執行を猶予した。然し乍ら原審公判における各証拠を仔細に検討すると被告人の犯情に照し原審の量刑は重きに過ぎ不当である。即ち
一、本件逋脱罪を処罰するときは重加算税等を納付したことを実質的に考慮して量刑すべきである。
a 重加算税等は徴税行政の秩序を維持するための秩序罰であるが実質は納税義務違反に対する刑罰と解すべきであり逋脱罪の罰金刑は徴税権侵害に対する刑事罰で国庫の収入確保を目的とする納税義務違反を予防する政策的措置であるが、実質は不法行為による損害賠償である重加算税等もほ脱罰も同じ本質をもつた二つの租税収入確保の手段であつて原因行為が同じで二重に賠償させることとなるのであり同じ国家目的のため同人に二重の負担を課するのは不合理である。従つて逋脱罰として処罰するときは加算税等を納付したことを実質的に考慮して量刑を賜わるべきものと思料する。
b 被告人は本件納税を完了するため従業員を督励して経費を節約し、且つ二、三の銀行から借入金をして昭和四三年七月一七日通知書に基き既に確定所得税一〇、〇九〇、六〇〇円過少加算税七〇、〇〇〇円重加算税二、六〇六、四〇〇円延滞税二、二五一、〇〇〇円合計一、五〇二万八、一〇〇円外に県市民税を納付したので結果的には国家の懲税にさしたる支障を来たさなかつたのであるから逋脱額に対する低率の割合による罰金を情状によつて量刑せられることをお願いする次第です。
二、本件逋脱行為の動機についてみるに被告人は自己の個人的懇望を満足させるためなしたものではなく次のような弱小事業の運転資金に窮した結果なしたものである。
1 被告人の営む建設業は基礎工事で約四百人の鳶土工の下級労務者を使役しているが斯る労務者はその日暮らしの者で流動し易く前貸や賃金の即時支払のため準備金を調達しておかねばならないし貸付金の回収も困難である。
2 労務者不足のため遠隔な地まで募集に行かねばならずその旅費、仕度金等相当多額の資金を必要とした。
3 被告人の従事する建設業の基礎工事は危険が多く昼夜を通する突貫工事をするので労務者に災害が生じたり発病することが多くこれらの費用は総て使用者が負担する。
4 建設業は経済界の好不況によつて影響を受けることが多いし又天候の不良によつて工事を中止するときは労務者を遊ばせておくのでその損失に対する準備金を蓄積しておかねばならない。
5 最近建設業の同業者が多く競争が激しいので元請負業者取引先に対しリベート交際費等を出さねば請負工事の獲得ができない。
6 元請業者から労務費が支払われることになつていても予算を超過したり又支払が遅滞することが多いので斯る場合の資金を準備しなければならない。
叙上のような経費は従前は元請業者から支出して貰えたが最近は支出して貰えないし銀行からの借入も担保なしではできないので被告人は前述の如き運転資金に窮した結果本件逋脱をなし活路を求めたのであつて自己の個人的懇望を満足させるため使われたものでもなく自己の財産として残したものでもない。
三、被告人のような弱小建設業者は競争激然で工事が竣成すると移動をする。従つて労務も資材も移転するので労務管理が面倒で手数がかかる。そのような点から公にできない経費を無理に捻出することが多くの土木業者の常識である。これは良いことではないがその実状を斟酌せられたい。
四、被告人の本件犯行の方法及び態様も時に悪質とは考えられない被告人は本件犯行を犯すについて経理担当社員の立松昇と話合い指示しているがその具体的犯行は同人がなしたのであつて特に悪質とは考えられない。
五、被告人は本件上訴事実を総て認めており事件発覚後はその誤れる点を反省悔悟し関係帳簿は全部提出して披査に協力し税務庁の調査を短期間に完了させた点を考慮せられたい。
六、被告人は先代から鳶土工による建設工事の業務を承継し営々として斯業に専念し幾多の困難を克服して事業の近代化を図り店を中心として内外の信用を高めてきたが今後本件の如き過誤を繰返えさないよう経理を厳格にするために個人企業を株式会社に改組し、被告人を中心として従業員の生活安定のため再起しようとしているから再犯の虞はない。
七、被告人は是迄刑事上の処分を受けたことがない。
これらの諸点は本件の犯情として没することのできない事情であり本件量刑に当然斟酌されてよい価値があると信ずる。然りとすれば原判決の罰金刑は減縮の余地があると思われるので原判決破棄の上更に寛大なる裁判を仰ぎ度く存じます。
昭和四四年五月三〇日
弁護人 石田恵一
名古屋高等裁判所刑事部 御中